【音楽で食べていく008】ベーシストと社長を兼務し自分たちの納得できるスタイルを実現させている四星球・U太さん(前編)

音楽で食べていく。四星球・ベース&社長 U太

2002年の結成以来、シンガーの北島康雄氏とベースのU太氏が中心となって結成された四星球(すーしんちゅう)。2013年に所属事務所を立ち上げ、自ら”社長”となったベーシスト・U太さんに、バンドを長く続けるための決断や行動してきたことなどを聞いてみました。バンドをストレスなく続ける秘訣が飛び出すインタビューとなりましたよ!

PROFILE / プロフィール

高田U太(たかたゆうた)
名前高田U太(たかたゆうた)
生年月日1983年12月4日
出身地兵庫県姫路市
Twitter@suxingcyuta
四星球公式ウェブサイトhttp://su-xing-cyu.com/

バンド結成〜スタイルの確立

──── 「四星球」はどういう経緯で結成されたのですか?

鳴門教育大学に入学した頃に遡りますが、だいたい大学に入ると仲良しグループに分かれますよね。そこにシンガーの康雄(北島康雄さん)がいて、一緒にバスケ部に入ったりしたのですが、むこうはCDをたくさん持っていて色んな音楽を知っていて。自分も中学2年生くらいからコピーバンドはやっていました。

大学がある所はとても田舎で何をするにしてもちょっと不便な土地でした。そんなこんなで「バンドでもやってみる?」となって。それが2002年の結成のキッカケですね。当時から康雄は変なヤツで、何か面白いことができるんじゃないかと。

1年生の夏前ぐらいにはバンドをはじめてましたね。寮でベースだけで作曲して。初代ドラムは元吹奏楽部。教育大学なので、元々はドラムだった音楽科の友達にギターとして入ってもらってました。

──── 法被とブリーフがコスチュームになったのは、いつからですか?

バンド結成〜スタイルの確立を語るU太氏

結成して1年経たないくらいで、このスタイルにはなっていましたね。

徳島県はバンドの人口が少なく、2003年頃はツアーで回ってくるバンドが多かった時代でした。地元バンドということで、オープニングアクトとして出演することが多かったです。

いつも同じお客さんに来てもらうのに楽しんでもらわなくてはいけないということで、最初はシンガーの康雄が風呂上がりの設定で腰にバスタオルを巻いて登場し、ライブが始まる時の楽器が一気に音を出す瞬間にバスタオルが取れてブリーフ一丁になったのが始まりですね。

それまでの徳島のバンドシーンはハードコアが盛んだった印象で、2000年過ぎにはメロコアやスカなどのバンドもいて、その次が自分たちっていうイメージです。同世代はチャットモンチーがいましたね。

隙間を探していって、かぶらないように考えた結果がコミックバンドという感じですね。

ステージでベースを弾くU太氏
(提供:四星球)

地方でバンドを続けていくこと

──── 徳島で活動し続けていますが、東京に出ようという案は出なかったですか?

東京に行ってみる? という話は出たこともありますよ。

結成当初は、ツアー遠征も1箇所のみから徐々に数箇所まわって帰ってこれるようになって。ツアーに出ていて「どこにいても一緒やな」というところに落ち着いたのだと思います。

地元で飛び抜けた存在になった方が覚えてもらいやすいというのはあったかもしれませんね。自分の勝手な解釈ですけど、康雄の歌詞も徳島だからこそ、があったのではないかと。

自主レーベルの立ち上げ

──── バンドとしてレーベルに所属してそこから音源をリリースしたいという目標はありましたか?

色んなレーベルにデモ音源を送ったりはしていましたよ。

結局、2013年に自分たちのレーベルを立ち上げましたが、2011年くらいから「自分たちでレーベルをはじめてみようかな」というマインドになってました。

そこから個人的に月の半分は東京にいくようにして、色んな人と会いました。このままだとテレビもラジオも出られないので。いろんなレーベルの方やテレビ関係者の方と会っていましたね。

地元のラジオ局とは直接顔を合わせられる繋がりがありましたが、やはり大都市・東京にも足がかりを見つけたいと思っていました。自分がベーシストということでそういう役回りを自然とやっていたのかもしれません。

それまで10年近く活動して安定はしていましたが、それより上にいって売れるには、どうしたら良いかということをずっと考えていましたね。

chuya-online.comスタッフ伊藤辰太郎(左)と四星球U太氏
聞き手はチューヤオンラインの伊藤辰太郎。四星球Tシャツを着用して記念撮影

──── お手本となった自主レーベルを運営しているバンドの存在はありましたか?

フラカンさん(フラワーカンパニーズ)ですかね。グレートマエカワさんに電話させて頂いたのは覚えてます。

細かいことを聞いたわけではなく、テンション感というか「しんどいですか?」みたいな(笑)。今考えたらおかしいのですが、当時は他のレーベルと闘っていかないといけないみたいな気持ちがあったと思います。

いちばん大事なことですが、バンドメンバー同士がストレスなく活動を続けていくためには自分たちでやった方が良い、という結論に至った感じです。

そもそも「やるぞ!」と意気込んでやっていたわけじゃないんですよね。10周年を迎えるまでは他のレーベルにお世話になっていましたし。ただ、他の方にお任せしたときに、自分たちの好きなタイミングで音源を作ってリリース、プロモーションと、思い通りの活動ができるかといったら関わる人も多くなかなか難しい。

10周年までは毎年、少しずつステップアップしてきている実感はあったのですが、「停滞しているな」と感じたんですよね。これ以上(売れること)は難しいのかもしれないなと。次の突破口はどこかなって。今思えばそこがバンドの一番の停滞期だったと思います。

当時は予算のこともわかっていないし、周りが見えていないがゆえにどうしてCD出せへんのとか思ってしまう自分もいて。そんな中、レーベルに所属させて頂いていた時、裏方のお仕事をお手伝いをさせてもらっていたこともあり、なんとなくの流れは勉強させてもらってた気がします。

自分たちでやろうと「Officeみっちゃん」を立ち上げることができたのが2013年ということです。

基本的に迷惑をかけるバンドが理想の活動をしていくために

──── 自分たちでやるのと、他の事務所に所属する最大の違いはなんでしょう?

僕たち基本的に迷惑をかけるバンドなんです(笑)。小道具を使うし汚してしまうときもあります。そうしたときに自分たちで謝ることができないと、うーんとなってしまいます。人を介すと伝わっているかな? という心配がありますし。自分たちでリスクをとっていく方が良いですよね。

特に自分たちみたいなセットなどの小道具が必要なバンドを、ほかの会社さんが扱えるのか? というのもありました(笑)。ステージで使う食材の領収書は経費で落ちるんだろうか? と。逆に迷惑をかけてしまう。

あと、これまで支えてきてくれた人の関係性も違うものになりますよね。10年いっしょにやってきた人がいますから。

そういう人たちに育ててきてもらった意識が強いです。だったら自分たちで、という結論になったということですね。

独立したばかりの2013年、九州の「TRIANGLE’」でSTOMPIN’ BIRDの方たちがめっちゃ褒めてくれて。あんなライブハウス界のレジェンドみたいな人たちが評価してくれたというのも印象深く残ってます。

ライブに関しては年100本超えをずっと続けられていますし、音源制作に関しても年に1枚アルバムを出せている。ジャケットデザインやプレス、流通を周りの知り合いで固められているのは良いですね。自分たちのペースでできています。

ただ、焦りも感じていて……。

──── と、前編はここまで。後編ではその”焦り”や来年20周年を迎えるにあたり思っていることなどを語っていただきました。お楽しみに!

(編集&撮影 赤坂太一

四星球の法被